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May 25, 2009

記憶と精神

原因が分かってテストプレイ通りの経路を進むことができた。その結果現在の時点で前回の記録より約1000フレーム削減することができた。ごく序盤でのことである。ここからクリアするには乱数が変化しているので前回のものを使うことができない。たかだか1000フレーム程度ではクリアまでまた最短の乱数を探すには少ない。追加の改善策を見つけない限りこのTASは完成させないだろう。

ところで攻殻SAC2ndの総集編を見直したので触れたいことがある。記憶というデータを完全にコピーすればそこにゴーストも存在するのかということ。まず人間が生まれたとき、生まれたばかりの時点で(子宮内での記憶もあるというが)データはゼロのはずだ。それでも生命活動ができるのはもともと備わっている本能のおかげだといえる。

その本能というプログラムの構造に天地の概念つまり重力の影響や壁という障害の概念はあるのかというと体の構造を見れば自重を支えるためのパーツがあって地球の重力に合わせた筋力が備わっている。しかしそれは用意された道具であって生まれた時はそれの使い方を知らないからこそ立つことがことができない。

外からの干渉によって地面という土台があることを記憶して重力の強さを記憶して筋力の使い方も学習する必要がある。すべて後天的にデータを得ていると言える。

よく自我は思春期に芽生えるとも言うが性格はいつ出来上がるのか。やはり外から来る身近な人間がいなければ
本能のままに生きる野獣のような人がいればそれは我儘な性格と呼べる。だが我儘でない小児など気味が悪いというようにそれを性格と呼ぶには相応しくない。ということは生まれた状態で我儘なのを成長の過程でどれだけ抑圧されたかで性格が決まる?

言葉遣いも思慮深さも人から教わらなければ身につくことは無いだろう。そして性格はそうした態度に付随してくるものだと想像する。おしとやかなふりをしている人は心の中で乱暴な言葉を使って怒る。無口な人は無駄な事をしないし日頃から敬語を話す人は秩序立っている。こういう言葉を使う人は~だというビジョンは誰にもできていることだろう。同じように、自分の使っている言葉を話す人というのはどういうものかというビジョンも持っていることだろう。その中の小さな齟齬が各人の性格の差異になっているのだと想像する。つまり自分の中の像を形成させた情報である経験から生まれた記憶こそ性格を形成させているといえる。

だから精神はどこにあるのかと言えばやっぱり脳のデータバンクにあるんだな。こんなことを今ざっと考えたが、心理学やなんやを勉強したわけでもないしその手の偉い人も知らないからとっくに言われていることを書いているのだろう。でも自分なりで考えることってきっと大事。

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